素人の三浦半島 野比海岸の地質概説                1998年12月

 ここ10年ほど、野比海岸でウインドサーフィンをしていますが、以前から不思議に思っていたことがあります。それは、野比海岸の地面(地層)はある地点を境にして、北(久里浜方向)と南(長沢方向)で大きく異なると言うことです。この疑問を晴らす為に、地質図や論文を眺めてみましたが、どうもそのような記載や記述はありませんでした。疑問は益々深まりNobikameは研究に没頭・・とは行かず、「まあいいか!」で過ぎてきました。(好奇心は有っても、探求心と根気はない)

 しかし、最近犬を飼い始めたこともあって、海岸を訪れる回数が飛躍的に多くなり、否応なくこの不思議を思い出す事になりました。そこで、犬の散歩のついでに調べた結果、幾つかのことがわかりましたので、ここに書くことにします。野比海岸を訪れるときの「自然観察項目」に入れておいて下さい。それに化石も取れます。場所はここを見て下さい。


 野比海岸は台風により、海岸の砂が持ち運ばれることがあります。今年も8月末の台風で砂がなくなり、下にあった堅い地層を広範囲に眺めることが出来るようになりました。その写真が上のパノラマです。写真の右と左で海岸の様子が異なることが良くわかります。


1:宮田層(地質観察点1

 パノラマ右は灰色で、粘土のような地層です。宮田累層と呼ばれ比較的新しい地層です。

 地層というのは概ね海底でたまった泥が固まったものです。いったん海底で固まったものが地殻変動で地上に現れたわけです。この宮田累層も例外ではありません。ですから、新しいと言っても、お爺ちゃんや曾おばあちゃんの時代ではなく、10万年〜20万年ぐらい前のようです。10万年前人間は何をしていたかって!?まだ猿人から進化した旧人と呼ばれる人間(!)で私たちの直接の祖先はまだ誕生していませんでした。

 野比の宮田累層(上宮田層?)には貝の化石がたくさん入っていますが多くは殻が壊れていたり、二枚貝ですと片方の殻しかない状態です。これは、化石になった貝は、もともとここに住んでいたのではなく、死後何処からか流れてきたからです。でも探せば形の残ったものが取れるかもしれません。

 ジュネス野比海岸というマンション駐車場前のこの地層には数センチ〜20cmほどの角張った石ころ(礫と言います)が数多く見られます。これはこの地層が堆積し始めたとき、海岸にごろごろしていたヤツです。(海岸の岩場に行けば大きな石が転がっていることがあるでしょ。)

宮田累層(海岸沿いの道路から)

白いつぶつぶは化石

礫が含まれている様子


2:葉山層群(地質観察点1

 さて、泥が海底にたまり新しい地層が出来るためには、泥のもととなる地面がなければなりません。だいたい泥は陸地が削られて出来るのです。このとき、すでに地面(陸地)となっていた地層がパノラマの左側の地層です。これは葉山層群とよばれ、やはり基本的に海底の泥で出来ていますが、宮田層と比べてだいぶ違いがあります。色は白っぽかったり茶色っぽかったりで、富士山等で見られるような軽石(溶岩)が含まれています、そして堅いのです。泥と言っても静かに海底につもった・・感じはありませんね、どちらかというとかき乱されたようなたまりかたです。(泥などが海底等にたまることを堆積と言います。)

 この地層に含まれていた軽石を手で引き抜いて(直径20cmのほぼ球形)家に持って帰ったら、妻に「何処で拾ったのこの溶岩」と訪ねられた。海岸の地面の中から取ってきたと話すと不思議そうな顔をしていました。

 この地層は2000万年ぐらい昔に出来たものです。この時代のこの海には海底火山の噴火や海底地滑りが頻繁にあったのだと考えられています。

葉山層群

海側からみた葉山層群(右)と宮田累層の境界(不整合といいます)

 この地層中に大型化石で名前がわかるものの発見は少ないようです。Nobikameは散歩中に炭化した直径10cm長さ20cm程木片(要するに木の化石)を数個採取しています。この木片について文献では「細かい破片状の石炭」(小島伸夫(1954)等)と書かれていますが、結構大きいものもあるかも・・・!?

 ところでこの木片は2000万年前に「生きていた生物」の証拠です。この木の生きていた時代は、ほ乳類が絶滅した恐竜たちのあとがまとして、鳥類と共に繁栄を始めた頃です。海に帰る動物(鯨やイルカ)も現れました。

 私の遺伝子もたしかにこの時代を通り抜けてきたはずです。どんな姿で、2000万年前の世界を生きたのでしょうか、遺伝子にその記憶は無いようですので、この木片を触りながら想像しましょう・・。


 最後に、野比海岸の東端(地質観察点2)にはなにやら緑がかったおおきな石ころが点在しています。これらは地中から上がって地上(海中)に噴火する前の溶岩が固まったものです。たしかに泥が固まったのとは様子が違いますね。これが海中で噴火すると、溶岩は周りを急に冷やされることで、直径が数十センチから1メートルほどの円柱状になります。これらが次々と海底にたまり、まるで俵(西欧では枕)が積み重なったようなかたちになるので、それを枕状溶岩とよびます。葉山層群のなかに点在しているようです。

赤い矢印の石ころが溶岩の基だった、いわゆるマグマ。

拡大した写真。

 もしあなたが教育関係者で、この野比海岸を授業で使うと面白いと考えたら、それは良い選択だと思います。(野比中や野比東小の先生だったら尚良い。何度も来れるから。)
 海岸で弁当でも食べながら、化石を眺め、石ころの由来を考える。そして、時間の流れの長大さと大地の躍動に思いをはせる・・・という企画はどうでしょうか。・・・・と(無理は承知で)思います・・。

 尚、この地域の詳細は横須賀市博物館で調べられます。博物館の館報(これは凄いです)は市内の公立学校ならばタダで手にはいるはずです。また、三浦半島の地質図も博物館で手に入れることが出来ます。 

お断り:地質について間違っていたら・・・

          ・・・ごめんなさい。